おっぱいは母性の起動スイッチだと考えます。
最初にお断りしておきます。
こういうことを書くと、必ず言葉尻を捉えて誤解されたり、曲解されたりしてブログを炎上させようとなさる方が出現されるかという恐れがあります。
それでも敢えて書こうとするのは、頻発する虐待に心を痛めているからです。
先日の「虐待されるかもしれなくても選ぶのか?」の記事には大きな反響をいただきました。
“魂の修行として命の尊さを知らしめるために、荒廃したどうしようもない親を選ぶことはある。”
“自分が捨て石になってでも、虐待はいけないということを伝えるために敢えてその親を選ぶ。”等々の内容、憶えていらっしゃいますよね?
大変申し上げにくいのですが、いわゆる被虐待で新聞沙汰になるような重症例の殆どが母乳を飲ませてもらってない子なんです。
いわゆる児童相談所等が把握している統計で、被虐待児の乳児期の栄養方法の96%が完母以外というショッキングなデータもあるそうです。(裏返せば完母でも4%は虐待しているわけですが、圧倒的な差があることは間違いないのです。)
思うにおっぱいをあげるということは、生まれてすぐからの育児行動ですから、おっぱいが上手くいけば子育てに自信が出来て楽しくなるし、子どもを丸ごと受け止める度量も徐々に出来てくるのです。
もちろん、母乳をあげなければお母さんとして失格だとは申しません。
どのような気持ちでミルクをあげているかということが大事なのです。
ご自身や赤ちゃんの病気のせいで、おっぱいをあげたくてもあげられないお母さんや、養子を育てているお母さんや、どうしても量的に不足していて、補足が必要なお母さんがいらっしゃることは、私も重々承知しております。
そのような方は何度も申しますように、ミルクという名のおっぱいをあげているのだと私は思います。
この記事は傷口に刷り込む塩ではないし、決して卑屈にならないでほしいです。
そうではなく、私が問題視しているのは、「赤ちゃんを産んでもクラブに遊びに行きたいし、預ける時に便利だから。」「胸が垂れたら、旦那さんが自分を女として見てくれなくなりそうで困るから。」「夜眠れないと、自慢のお肌が荒れてしまうから。」「お酒やタバコを心おきなく楽しみたいから。」「赤ちゃんはペットと同じで、気が向けば可愛がればいいものでしょう?」等々、『最強母乳外来・フェニックス』の読者さんであれば、信じられないようなことをのたまう方が世間には相当数いらっしゃるわけです。
つまり、私が言いたいのは、妊娠中に芽生える筈の母性の芽が出ず、タネのままで留まってしまった方(≒虐待予備軍)が母性の芽を出すための起動スイッチになるのがおっぱいではないか?ということです。
でも、おっぱいは蛇口を捻ったら出る水とは違います。
出していくにはカラダとココロの準備が必要です。
そのために妊娠中から知っておくことは何か?ということを書くことが、SOLANINの役目かなと僭越ながら思い、この記事を書いた次第です。
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コメント
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おっしゃる通りだと思います。私の出産した産院の小児科DRも虐待防止には良いお産と授乳での母子の関わりが大事と話していました。記事にあるようにお酒とタバコをのまないとイライラするからと生後二ヶ月でミルクに変えた友人がいます。彼女がその後虐待している事はないですが、私にはその気持ち自体が小さな虐待にも思えました。長い人生なぜ子供の為に1年くらい我慢できないかと。母親にも息抜き楽しみが必要と言うけれど、我慢すべき事はあると思います。そして虐待死した子供達は虐待で死ぬ定めを持って生まれてきているのではないんです。虐待されるのはわかって生まれてくるけれど誰かが助ける手を差し伸べれば必ず助かる運命を持っています。ですが虐待死は減りません。周りの大人の責任もあるんです。事が起こってから知らなかった可哀想で終わってはいけないんですね。
投稿: しーた | 2014年5月 5日 (月) 01時22分